73年の時を経て

思いもよらぬ場所で自分の出身校の関係者や関連する物に出合うと途端にその人やその関連するものに親近感が湧くの出るが
皆さんもそんな経験をされたことはないだろうか。

長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館『無言館』」に行ってきた。

『無言館』の概要
第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館で、美術館「信濃デッサン館」の分館として1997年に開館した。
館主は窪島誠一郎。自らも出征経験を持つ画家の野見山暁治とともに全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を蒐集した。
施設名の「無言館」は、展示される絵画は何も語らず「無言」ではあるが、見る側に多くを語りかけるという意味で命名したというが、
客もまた展示される絵画を見て「無言」になるという意味をも含んでいるという。
【『無言館』 ウィキペディアより引用 】

展示されている絵画の作家さんは、それぞれ紹介文が添えられてはいるものの当然、顔も名前も知らない。
そして展示されている絵画は、保存状態がいいものから、絵の具が剝がれかけているものまでいろいろ。
だが、どれも紹介文やご遺族の方の言葉などが添えられているので、それぞれの絵画に込められた思いなどを
勝手にではあるが想像しながら、足を進めて行った。

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そんな中、自分の出身校「名古屋市立工芸高校」の文字。
そこに展示されていた絵画は、繊細なタッチで描かれた草木の水彩画だった。
作家さんの紹介文を読むと、自分が生をうける20年も前に19歳の若さで戦死されている。
学校卒業後、そのまま大本営に就職、絵を描く才能を買われてか前線の地図を描くために船で戦地に赴くが
その船が攻撃に遭い、その時に戦死とあった。

先にも書いたように、この美術館に入館してからそれぞれの作家さんの生い立ちなどの紹介文を丹念に読み、
残された遺品や手紙などに触れ、自分なりに絵画に込められた思いなどを勝手に思い巡らせながら廻っていたのだが。
「名古屋市立工芸高校」出身の文字を見た途端、言葉では言い合わらすことのできない感覚を覚えました。
親近感と言ってもいいような感覚でした。
その作者は73年前(このブログ執筆時の2017年時点)にお亡くなりになられている。(その、一年後に終戦)
でも、目の前には生前の作者が描かれた絵画があり。何かを語りかけているかのように静かに佇んでいる。

「言葉にならない」

ただ、こうして戦場から帰らぬ人となってしまった方々の遺品や書き残された絵画なとに触れ
改めて「戦争」というものを自分なりに考え直すきっかけにはなった。

8月と言う意味のある月にこうした機会を作っていただいたYさんに感謝。
そのYさん曰く。
「無言館に作品として展示され、その人となりがわずかながら後世に語り継がれていく人はまだ幸せな世かもしれない
大多数の戦死された人々は名前すら表に表されずに忘れ去らていってしまうんだよね~」と。

本日も長文になってしましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後に、バックで流れているセミの鳴き声などは「無言館」の周りで実際に録音したものです。

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